変わらない光景 [思い出]
生まれ育った(厳密には違いますが)高田馬場あたりで今でも幼少の頃と変わっていない場所は本当に少なくなりました。閉店後長らく廃墟となっていた名曲喫茶「らんぶる」の建物も先日用事があって実家に戻った時には解体されて更地になっていました。そんななかわずかに残っている建物を紹介します。裏通りは皆さんに馴染みがないと思いますので、早稲田通りに面しているものです。
まずは、高田馬場駅前で唯一建物もお店も変わっていない奇跡的なものから。
高田馬場駅早稲田口を出て横断歩道を渡ったところにある「DPE店」と「寿司屋」です。未だに利用したことはありませんが、寿司屋には一度は行ってみたいと思います。駅前の横断歩道の向こう側にその店があります。
早稲田方面から望んだ光景です。後には西武新宿線のガードが見えます。
寿司屋をアップで。左手奥にがDPE店です。今ではDPE店自体が少なくなりました。
寿司屋の角から路地を望んだ様子です。子供の頃と同じ店かどうか判りませんが、情景はあまり変わっていないようです。手ぶれしていて申し訳ありません。
早稲田通りを早稲田に向って行くと、右手に「早稲田松竹」があります。以前は高田馬場から早稲田の間の早稲田通り沿いに三館の映画館がありましたが、今でも盛況なのが早稲田松竹です。昔とあまりイメージは変わりませんが、改築されています。次の写真は早稲田通りと明治通りの交差点です。
丁度交叉線の角にある建物に注目です。右手が早稲田通りの高田馬場方面で、左が明治通り新宿方面になります。
中に入っているお店は変わりましたが、建物は昔のままです。二階は事務所になっていましたが、今はどうなのでしょうか。そして、角にあるのに幅が広くなっているのにお気づきでしょうか。私が生まれる以前に
この交差点はロータリーになっていたそうです。小学生の頃の交差点の様子です。下図を参照して下さい。
まずは、高田馬場駅前で唯一建物もお店も変わっていない奇跡的なものから。
高田馬場駅早稲田口を出て横断歩道を渡ったところにある「DPE店」と「寿司屋」です。未だに利用したことはありませんが、寿司屋には一度は行ってみたいと思います。駅前の横断歩道の向こう側にその店があります。
早稲田方面から望んだ光景です。後には西武新宿線のガードが見えます。
寿司屋をアップで。左手奥にがDPE店です。今ではDPE店自体が少なくなりました。
寿司屋の角から路地を望んだ様子です。子供の頃と同じ店かどうか判りませんが、情景はあまり変わっていないようです。手ぶれしていて申し訳ありません。
早稲田通りを早稲田に向って行くと、右手に「早稲田松竹」があります。以前は高田馬場から早稲田の間の早稲田通り沿いに三館の映画館がありましたが、今でも盛況なのが早稲田松竹です。昔とあまりイメージは変わりませんが、改築されています。次の写真は早稲田通りと明治通りの交差点です。
丁度交叉線の角にある建物に注目です。右手が早稲田通りの高田馬場方面で、左が明治通り新宿方面になります。
中に入っているお店は変わりましたが、建物は昔のままです。二階は事務所になっていましたが、今はどうなのでしょうか。そして、角にあるのに幅が広くなっているのにお気づきでしょうか。私が生まれる以前に
この交差点はロータリーになっていたそうです。小学生の頃の交差点の様子です。下図を参照して下さい。
山手貨物線を走ったEH10 [思い出]
越後交通栃尾線 [思い出]
風邪をひいてしまい調子を崩してしまいました。ようやく回復してきたのでブログの更新です。
1969年(昭和44年)の夏休み、高校一年生の私は蒸気機関車を求めて、まず上野から長岡行きの各駅停車に乗り、長岡で次の各駅停車に乗り換え新津へと向かいました。その乗り換えの合間と乗った電車の中から撮影した越後交通栃尾線の情景です。私が撮影した栃尾線の写真は残念なことに、ここにあげた6枚がすべてです。もし、今あったらすぐにでも飛んで行きたくなります。でも、あの当時は知識も無くこずかいも少なかったので仕方ありません。資料が見つからないので解説はごく簡単にいたします。1973年と1975年の二度に分けて廃止されました。
※ 細部を見たい方は、写真をクリックしてください。大きく表示されます。
栃尾線の長岡駅ですが、現在では全く様子が変わってしまっています。木造電車?の姿も見えます。
左側の車両はモニタールーフ付きの木造客車ですが、右側の車両が気になります。
気になる車両がこれです。向かって左の台車がセミセンターになっていることが判ります。中央の大きな扉は後からのものでしょうか。この時点では付随車のようですが、もとは電車だったのか気動車だったのか。
新潟方面行きの電車ですれ違った、長岡方面行きの栃尾線の電車です。当時として近代的な電車ですが、もしかしてカルダン車でしょうか。ウィルソン式の自動連結器を付けています。
電車の車窓から栃尾線の車庫も見えました。当時は気付きませんでしたが、パンタグラフや台車などおもしろそうな車両が並んでいます。
前後に荷台を付けた電車があります、改造車でしょうか。パンタグラフもなかなか立派なものを乗せてます。左端の廃車体?は、ロータリー式除雪車の成れの果てに思えます。たったこれだけでも素晴らしきかな栃尾鉄道です。いずれ詳細が判りましたら、改めて取り上げたいと思います。
1969年(昭和44年)の夏休み、高校一年生の私は蒸気機関車を求めて、まず上野から長岡行きの各駅停車に乗り、長岡で次の各駅停車に乗り換え新津へと向かいました。その乗り換えの合間と乗った電車の中から撮影した越後交通栃尾線の情景です。私が撮影した栃尾線の写真は残念なことに、ここにあげた6枚がすべてです。もし、今あったらすぐにでも飛んで行きたくなります。でも、あの当時は知識も無くこずかいも少なかったので仕方ありません。資料が見つからないので解説はごく簡単にいたします。1973年と1975年の二度に分けて廃止されました。
※ 細部を見たい方は、写真をクリックしてください。大きく表示されます。
栃尾線の長岡駅ですが、現在では全く様子が変わってしまっています。木造電車?の姿も見えます。
左側の車両はモニタールーフ付きの木造客車ですが、右側の車両が気になります。
気になる車両がこれです。向かって左の台車がセミセンターになっていることが判ります。中央の大きな扉は後からのものでしょうか。この時点では付随車のようですが、もとは電車だったのか気動車だったのか。
新潟方面行きの電車ですれ違った、長岡方面行きの栃尾線の電車です。当時として近代的な電車ですが、もしかしてカルダン車でしょうか。ウィルソン式の自動連結器を付けています。
電車の車窓から栃尾線の車庫も見えました。当時は気付きませんでしたが、パンタグラフや台車などおもしろそうな車両が並んでいます。
前後に荷台を付けた電車があります、改造車でしょうか。パンタグラフもなかなか立派なものを乗せてます。左端の廃車体?は、ロータリー式除雪車の成れの果てに思えます。たったこれだけでも素晴らしきかな栃尾鉄道です。いずれ詳細が判りましたら、改めて取り上げたいと思います。
横浜市電 [思い出]
地下鉄丸ノ内線・お茶の水で [思い出]
西武鉄道山口線に井笠鉄道の1号機が来た [思い出]
ネガのスキャニングをしていたらおもしろい光景が出てきました。1973年9月17日のことです。前年より蒸気機関車の運行を始めた西武鉄道山口線に新しい仲間が加わった日にその搬入の様子です。
10トン積トラックに乗せられて来た井笠鉄道1号機は、蒸気機関車用の庫から伸びて途切れている線路の所に止められます。その後、梯子状になった線路でトラックの荷台と山口線の線路とつなぎ、トラックの前を上げました。
梯子状の線路は細くて大丈夫なのかと思っていると、枕木で支えます。バックをちょうど頸城鉄道2号機の列車が走って行きました。
次に山口線の主力機バッテリー式電気機関車の登場です。連結器をワイヤーで結びトラックから下ろしていきます。トラックに乗せる時はウィンチで引っ張るのでしょうか。
無事に山口線の線路に乗りました。なお、トラックの上にレールは無く軌道の幅に角材がひいてありました。普段からこの方法で車両の出し入れをしていた様です。
10トン積トラックに乗せられて来た井笠鉄道1号機は、蒸気機関車用の庫から伸びて途切れている線路の所に止められます。その後、梯子状になった線路でトラックの荷台と山口線の線路とつなぎ、トラックの前を上げました。
梯子状の線路は細くて大丈夫なのかと思っていると、枕木で支えます。バックをちょうど頸城鉄道2号機の列車が走って行きました。
次に山口線の主力機バッテリー式電気機関車の登場です。連結器をワイヤーで結びトラックから下ろしていきます。トラックに乗せる時はウィンチで引っ張るのでしょうか。
無事に山口線の線路に乗りました。なお、トラックの上にレールは無く軌道の幅に角材がひいてありました。普段からこの方法で車両の出し入れをしていた様です。
銚子の思い出 [思い出]
オハ31のこと [思い出]
鉄道博物館にはオハ31形客車が保存されています。この客車の座席に座ると思い出すのが、日曹炭鉱専用鉄道で乗ったオハ31のこと。この鉄道へは何回か行ってるのですが、高校が休みのシーズンで客車が付いていないことがあったり機関車に乗せてもらっていたので客車に乗ったのは一度きりでした。
2011.2.18撮影 鉄道博物館
豊富から一坑へ向かう列車は逆向の機関車に客車+貨車の編成で走ります。この編成の列車に乗ってブラストを楽しみながらガタン・ガタン・・・と客車に揺られたのでした。
1972.8.22撮影 一坑に到着した列車
銘板と表記。所属が国鉄時代のままです。定員が夏と冬で違うのは座席を外してストーブを置くためですが、残念ながら夏にしか乗っていないのでストーブは見ていません。 1972.8.24撮影
車内にあった運賃表と注意書き。この時は廃止目前でしたので、もう運賃の請求はしていませんでした。
今思えば車内の様子などもっと撮っておけば良かったと後悔します。昨日のブログにも書きましたが、その場にいてとても暗かったとかの理由で撮影出来なかったものは止むおえないとしても、ただ漫然と撮影していなかったことが結構あります。 1972.8.25撮影
2011.2.18撮影 鉄道博物館
豊富から一坑へ向かう列車は逆向の機関車に客車+貨車の編成で走ります。この編成の列車に乗ってブラストを楽しみながらガタン・ガタン・・・と客車に揺られたのでした。
1972.8.22撮影 一坑に到着した列車
銘板と表記。所属が国鉄時代のままです。定員が夏と冬で違うのは座席を外してストーブを置くためですが、残念ながら夏にしか乗っていないのでストーブは見ていません。 1972.8.24撮影
車内にあった運賃表と注意書き。この時は廃止目前でしたので、もう運賃の請求はしていませんでした。
今思えば車内の様子などもっと撮っておけば良かったと後悔します。昨日のブログにも書きましたが、その場にいてとても暗かったとかの理由で撮影出来なかったものは止むおえないとしても、ただ漫然と撮影していなかったことが結構あります。 1972.8.25撮影