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厳寒の白樺駅 [現役時代の蒸気機関車]

かなり久しぶりの更新となりました。残暑が続きますの暑気払いに雪景色をお届けします。一枚目は今年の年賀状に使ったカットです。(写真をクリックすると拡大表示します)

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場所は今は廃止になってしまった、深名線の白樺駅近くです。今回は、その日のエピソードを書くことにします。同行者は友人と北海道旅行中に知り合った一人の合計3名でした。
北海道でも豪雪地帯を走る深名線は、当時旅客は無煙化され一往復あった貨物列車は9600形によって営業されていました。これが、冬になると昼間の気動車による旅客列車を一往復運休し、貨物列車を混合列車にして対応していました。
深名線は、函館本線の深川駅から北上し宗谷本線の名寄駅に至る121.8kmのローカル線でした。 この日、1974年1月5日は深川駅を始発に乗車し、朱鞠内駅で一旦下車します。当時、深川から名寄まで直通する列車は無くそれぞれ朱鞠内で折り返しでした。

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待合室には、雪の量がどれほど多いのか掲示されています。この後、これを実感することになります。昼食や飲み物を購入し、名寄行きに乗車し白樺駅へ向かいました。念のため車掌には白樺駅で下車する旨伝えておきます。そして、そろそろ白樺駅かなと思っていると深い雪の中に単行の気動車は停車しました。ドアが開きましたが、目の前には雪の壁があるだけでプラットーホームもありません。躊躇していると「ここが白樺駅だから降りろ」そして「雪の壁に飛びついて列車が行ってしまうまでつかまり、行ってしまったら線路に降りればよい」と。

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順番は前後しますが、名寄行きの混合列車が白樺駅に止まっているところと、その列車が去って行くところです。これを見ればわかるようにキマロキかジョルダン車が入って間もないようで、車両と雪の壁にはかなり余裕があります。止まっている列車の向かって右側にはプラットーホームがあるため、ホーム上には目の前に雪の壁が残っていたようです。

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この時の写真で一番気に入っている写真です。横位置であるのとあまりに汽車が小さいので年賀状には使いませんでした。駅では雪に囲まれていたのに列車を撮影した場所では列車が良く見えました。後から考えてみれば撮影した場所は凍りついた湖の上で、ここでは雪の深さもくるぶし程度しか無く、湖畔を走る線路は雪に埋もれくこともなかったのでした。この日は天気も良くあまり感じなかったのですが、気温は相当に低かったらしく、深川行きを撮影していた一時間あまりの間に朝買った飲み物が完全に凍りついていました。

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一往復の混合列車を撮影し終えてから、保線小屋からスコップを借りて駅名標を掘り出し
記念写真を撮りました。この写真だけはクリックしても拡大表示されません。
なお、この日は正月明けのためか貨車は付いていませんでした。

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錦沢のスイッチバック [現役時代の蒸気機関車]

FaceBookのコメントに夕張鉄道の錦沢にあるスイッチバックで21形を撮影したことを書き込みました。そこで、早速ブログにアップします。
撮影したのは、間もなく全廃となる蒸気機関車を追いかけて北海道に渡った1974年9月です。夕張鉄道はかなり以前から本線の貨物列車はディーゼル機関車(DD1000形)牽引になっていましたが、平和駅を発車する時に21形の後補機が付き後退してから豪快に発車していく様子を撮りに行きました。なんとその時2輌いたディーゼル機関車が検査と故障のため本線の貨物列車を21形が牽引する幸運に巡り合えることができました。そこで、憧れの錦沢へ行くことにしました。

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まずはお決まりの場所で撮影です。ここまで歩いて行ったことは間違いないのですが、細かいことはよく覚えていません。

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同じ場所から望遠レンズでアップで撮影。200mmレンズに2倍のテレコンバーターを使用して撮影しました。レンズの開放F値が8になってしまうので、少しでも絞りたく増感現像しました。

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スイッチバックの中で後退する列車を撮影しました。もう一ヶ所のスイッチバックは撮影に向かなかったのか撮影していません。素晴らしい出来事だったのに、他に撮影する人には出会いませんでした。

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めったに無い機会なので、山を降りた田園地帯でも撮影しました。新二股駅の近くだったと思います。この時の移動はバスを利用しました。

!写真が暗めに表示されるようですが、拡大表示にすると正しい明るさで表示されます。?
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上野発最後の蒸気機関車 [現役時代の蒸気機関車]

1969年3月15日に、上野駅に乗り入れていた最後の蒸気機関車牽引列車が最後の日を迎えました。それは、成田から我孫子経由で常磐線に乗り入れる列車で当時二往復あり、担ぎ屋と呼ばれる行商が多く乗っている列車でもありました。その最終日の前日たまたま佐倉機関区を訪れて、そのさよなら列車の話を聞いたのでした。

69-015_07.jpg日暮里駅を発車する上野行きの最終列車です。日暮里駅も変わりました。











69-015_18.jpg金町駅近くの鉄橋を渡るさよなら列車です。この日は金町駅で貨物列車の電気機関車が故障し、常磐線も不通になってしまいさよなら列車も大幅に遅れ2時間以上も遅れての通過でした。開通後の一番列車だったので乗客も一杯になっていました。その日は、金町で立ち往生した常磐線の貨物列車を牽引するために新金線(新小岩〜金町間の貨物線)にも蒸気機関車が走ったのです。金町の近くにいたので落ちついて対処すれば、この救援の貨物列車とさよなら列車の両方を撮影可能だったのですが、さよなら列車が何時来るか判らず音を聴いているだけでした。新金線はすでに無煙化されていたので、もしかすると新金線を走った最後の蒸機列車だったかも知れません。
10月26日追記:さよなら列車が復旧後の一番列車と書きましたが、後で駅で国電区間を各駅停車で走ったと聞きました。それで大変に混んだのでしょう。

D52のこと [現役時代の蒸気機関車]

72-038_25.jpg久しぶりにネガのスキャニングをしています。その中から今日は、1972年8月28日に、長万部で撮影したと思うD52の牽引する列車の写真を載せます。冷蔵車で編成された長い貨物列車を牽いて発車していくところです。D52は牽引力があったせいか静々と牽きだしていた様に思います。後に、この頃の函館本線(海線)ではD51とD52は共通運用で1000トン牽引だったので、乗務員はD52に当たると楽ができると喜んだと聴きました。
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