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都電の情景 1971 [都電]

私にとって長く最も身近な鉄道は都電でした。しかし、私にとってのニューヒーローであった蒸気機関車の方に夢中になり、高校3年になったこの頃になってようやく残った都電を盛んに撮影するようになりました。その都電の廃止が最終に近づいた1971(昭和46)年6月から11月の間に二眼レフで撮影した写真をご覧いただきます。

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初電が車庫を出るところを撮ろうと、国電の始発で荒川車庫に駆けつけました。残念ながら初電には間に合いませんでしたが、早朝に車庫を出て行く情景を捉えることが出来ました。

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車庫内の情景。トラバーサーのコントローラーは電車に使っているものを流用しているようです。都電の車庫にはほとんどトラバーサーがありました。手作りなのか、それぞれ形が異なっていました。錦糸掘車庫で。

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「安くて安全、便利な都電」。このプレートはよく見かけました。利用者の多くはどのように感じていたのしょうか。

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歩道橋から見た軌道。路線が交差する場所で撮りたかったのですが、撮影できたのは系統が分かれる場所でした。手前を左方向に行くのは27系統赤羽行きで、手前右方向は32系統早稲田行きになります。27系統の王子〜赤羽間の併用軌道を廃止して、27と32系統を1本にして現在の荒川線になりました。

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絵に描いたような大通りを走る都電の情景。こうした大通りには安全地帯が設けてありました。万世橋にて。

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下町の商店街がある通りの情景。オート三輪も今は過去のものとなりました。場所はわからなくなってしまいました。
Cedar様より次のようなコメントを頂きました。「23番の下町商店街は、門仲の北の清澄通り沿いに今も残ってる建物ではないでしょうか?バックの緑は清澄庭園と思います。」建物が今も残っているとはすごいことですね。ありがとうございます。

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子供がお店の中を覗く、その後ろを都電が走ります。こうしたお店も時代を感じます。23・28・29系統のいずれか。

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車掌が切符を切る情景です。前ピンなので当時は失敗と思っていました。しかし、今見ると懐かしい車内の情景なのでお披露目することにします。
23・28・29系統のいずれかで撮影。

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折り返し時間の一時。32系統の早稲田で。バックの左手は市場になっていて賑わっていましたが、この時期は再開発のためほとんどが閉店してしまっていました。ブレーキハンドルを持っている左の人が運転手です。

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早稲田の停留所には市場が繋がっていました。今は新目白通りの真ん中にぽつんと早稲田の停留所があります。市場が全盛の時に撮っておきたかった光景です。

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面影橋の停留所を去る荒川車庫行き電車。当時は早稲田行きが専用軌道上にプラットホームがありましたが、荒川車庫行きは併用軌道上に停留所がありました。

正方形の中に現れた都電の世界いかがでしょうか。他にももっともっとお披露目したい写真もありますが機会を改めて。

当時の都電を扱った他の記事リンクです。
都電の別れ道
都電15系統の最終日
都電15系統の思い出」写真展のお知らせを見て
雨の万世橋


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コメント 2

Cedar

さすがに素晴らしいお写真揃いですね!
23番の下町商店街は、門仲の北の清澄通り沿いに今も残ってる建物ではないでしょうか?バックの緑は清澄庭園と思います。
by Cedar (2015-11-19 01:57) 

kubiki2

コメントありがとうございます。場所はおそらくCedar様の言われているところでしょう。知ることができて嬉しく思います。今後ともよろしくお願いいたします。
by kubiki2 (2015-11-22 22:44) 

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