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2010年の都電風景 [都電]

写真を整理していたら、10年前に撮影した都電荒川線の写真がありました。改めてRAWデータを現像してみると中々いい感じなので、久々にブログにアップしてみます。5年前にも荒川線の様子をアップしています。その時には、荒川線はもう都電ではなくなった感じがしました。でも、この10年前はまだ都電の空気を残している気がします。
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大塚駅前。

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荒川車庫に向かう車内で。王子駅前あたりと思います。

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荒川車庫の風景。

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保存車両 5501

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以上、撮影は2010年9月12日です。

タグ:荒川線 都電
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久しぶりに荒川線の写真を撮りました [都電]

昨日は赤羽で蒸気機関車を語り合う忘年会がありました。その前に用事で高田馬場方面へ行きましたので、用事が片付いたあと荒川線の早稲田電停に向かいました。

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この電停、いや今は駅といった感じですが、あまり好きではありません。自動車や雨風から守る点では良いのでしょう。しかし、要塞のような姿はいただけない感じがします。

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ちょうど、7000形が居たので釣り掛けの音を楽しむべく乗車しました。でも、慌て乗らなくても7000形はかなり走っていました。途中の鬼子母神前から東池袋四丁目にかけて大きな道路の中央を走る形にする工事を行っていました。この辺りも殺風景になってしまうのでしょう。そんな場所が飛鳥山に向う途中他にもにもありました。

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本郷通りの併用軌道から飛鳥山電停に向う電車です。右手に見える明治通りが広くなった気がします。

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専用軌道から本郷通りに出る電車です。うっかりしていたのですが、もうかなり薄暗くなっていてこの手の写真を撮るには向いていない状況になっていました。でも、待ち合わせ時間まで間がありましたので写真が荒れるのを覚悟で感度をASA800にして撮影を続行しました。それにしても、軌道があることをわかりやすくするためと思われる、白い塗装が汚らしく感じます。

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王子駅前から飛鳥山に向う急勾配を上る電車です。釣り掛けの7000形はかなり苦しそうに走っていました。

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王子駅前の電停から併用軌道にでる電車です。専用軌道でなく、なるべく道路上を走るシーンを狙いましたが、かなり無理矢理といった感じです。

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今度は歩道橋の上からから併用軌道に出る電車を狙いました。絞りも開放です。一眼に明るいレンズが欲しいところでした。画面では結構綺麗に見えますが、かなり荒れています。コンパクトカメラのFUJI XQ1を使用しました。
それにしても、荒川線は何度乗っても都電の気分がしません。ミニチュア版の郊外電車の気分です。一系統ぐらい都電らしさを味わえる路線が残っていて欲しかったです。


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都電の情景 1971 [都電]

私にとって長く最も身近な鉄道は都電でした。しかし、私にとってのニューヒーローであった蒸気機関車の方に夢中になり、高校3年になったこの頃になってようやく残った都電を盛んに撮影するようになりました。その都電の廃止が最終に近づいた1971(昭和46)年6月から11月の間に二眼レフで撮影した写真をご覧いただきます。

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初電が車庫を出るところを撮ろうと、国電の始発で荒川車庫に駆けつけました。残念ながら初電には間に合いませんでしたが、早朝に車庫を出て行く情景を捉えることが出来ました。

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車庫内の情景。トラバーサーのコントローラーは電車に使っているものを流用しているようです。都電の車庫にはほとんどトラバーサーがありました。手作りなのか、それぞれ形が異なっていました。錦糸掘車庫で。

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「安くて安全、便利な都電」。このプレートはよく見かけました。利用者の多くはどのように感じていたのしょうか。

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歩道橋から見た軌道。路線が交差する場所で撮りたかったのですが、撮影できたのは系統が分かれる場所でした。手前を左方向に行くのは27系統赤羽行きで、手前右方向は32系統早稲田行きになります。27系統の王子〜赤羽間の併用軌道を廃止して、27と32系統を1本にして現在の荒川線になりました。

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絵に描いたような大通りを走る都電の情景。こうした大通りには安全地帯が設けてありました。万世橋にて。

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下町の商店街がある通りの情景。オート三輪も今は過去のものとなりました。場所はわからなくなってしまいました。
Cedar様より次のようなコメントを頂きました。「23番の下町商店街は、門仲の北の清澄通り沿いに今も残ってる建物ではないでしょうか?バックの緑は清澄庭園と思います。」建物が今も残っているとはすごいことですね。ありがとうございます。

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子供がお店の中を覗く、その後ろを都電が走ります。こうしたお店も時代を感じます。23・28・29系統のいずれか。

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車掌が切符を切る情景です。前ピンなので当時は失敗と思っていました。しかし、今見ると懐かしい車内の情景なのでお披露目することにします。
23・28・29系統のいずれかで撮影。

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折り返し時間の一時。32系統の早稲田で。バックの左手は市場になっていて賑わっていましたが、この時期は再開発のためほとんどが閉店してしまっていました。ブレーキハンドルを持っている左の人が運転手です。

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早稲田の停留所には市場が繋がっていました。今は新目白通りの真ん中にぽつんと早稲田の停留所があります。市場が全盛の時に撮っておきたかった光景です。

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面影橋の停留所を去る荒川車庫行き電車。当時は早稲田行きが専用軌道上にプラットホームがありましたが、荒川車庫行きは併用軌道上に停留所がありました。

正方形の中に現れた都電の世界いかがでしょうか。他にももっともっとお披露目したい写真もありますが機会を改めて。

当時の都電を扱った他の記事リンクです。
都電の別れ道
都電15系統の最終日
都電15系統の思い出」写真展のお知らせを見て
雨の万世橋


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桜と都電 [都電]

前回アップしてからかなり経ってしまいました。現像しないでいたRAWデータが溜まってしまい現像に追われる始末です。ところで、今日実家に用事があったので、途中で咲き始めた桜と都電を撮影してきました。急いで仕上たのでアップします。生憎の曇り空でしたが、撮影している方も大勢いました。

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生憎の曇り空でしたが、撮影している方も大勢いました。撮影したカメラはすべて FUJI XQ1です。

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神田川に架かる橋からの光景です。見事な枝振りですが、残念なことに桜の間に都電を見ることができなってしまいました。一昨年の写真はここをクリックするとリンクします。


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雨の万世橋 [都電]

私が都電の写真を盛んに撮影したのは1970年あたりから、1972年11月に現在の都電の路線が荒川線だけになった間です。その間のモノクロネガはスキャニングを済ませたつもりだったのですが、時々ポツポツと都電の写真が出て来ます。今回はそんな中から万世橋辺りで撮影したネガが出てきました。雨が降る中おそらく30分から60分程度の時間の撮影のようです。多くの店が休んでおり車も少ないので時間帯は朝でしょう。この日はこれしか撮影していません、一体どんな目的で.撮影に行ったのでしょうか。撮影は1970年6月21日です。

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中央通り万世橋電停から須田町方向を望んでいます。手前に万世橋電停の安全地帯があり、神田明神方向から来る軌道と交叉し、バックには中央線が見えます。この高架は高さが低く、ここを電車がくぐる時にはビューゲルがぐっと傾き高架下をくぐる時にはほとんど水平になっていました。

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上の写真と同じ場所からですが、こちらには肉の万世が写っています。現在は新しいビルになっています。右手には交通博物館がありました。

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これも万世橋電停ですが、外堀通りを望みます。王子駅前からの19系統の電車が写っていますが、この時には新宿から外堀通りを神田川沿いに万世橋へ坂を下って、手前の方向に真っすぐくる13系統はすでに廃止されていました。19系統は、ここで画面左手に曲がって日本橋方向へ通三丁目まで行っていました。バックの鉄橋は総武線です。

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最後は万世橋から中央通りを一つ日本橋寄りにある須田町電停です。真っすぐ行くと日本橋・銀座方向になり、交差しているのは靖国通りです、ここを右に曲がると神保町になります。実はなぜこのこの日に撮影することになったかは薄々思い出しているのですが・・・・・・

今回からマイカテゴリーに「都電」を設けることにしました。順次過去の記事に付いても変更していきます。都電関連の記事を見たい時に便利です。なお、写真はクリックすると拡大表示されます。
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吊りかけ式の電車の音に酔う [都電]

正月は二度ほど早稲田方面へ出かけることになったので、あえて都電に乗ることにしました。普通に行くと東池袋四丁目から学習院下までと、ほんのわずかなので利用していないのです。1回目はあえて、町屋まで足を延ばし町屋駅前から面影橋まで乗ることにしました。電車は吊りかけ式の音を聞きたく、7000形が来るまで待つことにして、町屋駅前の電停に立つと一本目で7001号車がやって来ました。

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都電に乗るのは久しぶりですが、前回乗ったときは8800形だったので、吊りかけ式の電車に乗るのは相当久しぶりです。やはり吊りかけ式の音は素晴らしい、思わず涙ぐみそうになってしまいました。それに、止まるときのブレーキの軋み音も昔の都電を思い出します。考えて見れば車体は新しくなったものの足回りはその当時のままでした。蒸気機関車の動態保存だけでなく吊りかけ式電車もずっと動態保存して欲しいと思います。

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都電と紅葉、そして近況など [都電]

秋も深まってWed上でも都電の学習院下辺りで撮影した写真を見ることが多くなりました。時期は遅くなってしまいましたが、私も都内へ出かけたおりに撮影してきました。

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写真:2013年12月4日 (カメラ:SIGMA DP2s)

パートをやりながら、自宅の整理や資料の整理や調査に勉強やイラストを描くなど活動していますが、なかなか思ったようにいかずにいます。以前、資料が行方不明と書きましたが、作業に必要なものが出てこない、それどころから立て続けに無くし物をするなど辛いことが続いています。
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「都電15系統の思い出」写真展のお知らせを見て [都電]

子供の頃から永く住んでいた高田馬場で「路面電車」の写真展が開かれるとのお知らせをこちらのブログ「地方鉄道1960年代の回想」で見ました。これはぜひ行ってみなければと会場の地図を見ると東京メトロ高田馬場駅6番出口の近くとなっています。この地下鉄6番出口の場所で15系統の電車を撮っていたことを思い出しました。写真を撮り始めた頃のことです。左端にその出口が見えます。その15系統を受け持っていた早稲田車庫には800形が専属で配置されていました。小さな時からずっと見ていたからでしょうか、都電で一番好きな車両です。しかし、写真を撮り始めた頃には無くなっていました。模型が出たらきっと買ってしまうでしょう。
リンクの了解を頂きました。写真展の案内はここをクリックして下さい。
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都電15系統の最終日 [都電]

とあるブログで都電の話題がありましたので、私にとって最も身近な存在であった都電15系統の最終日に撮影した写真を載せます。それは、1968年(昭和43年)9月28日のことでした。

68_015_15.jpg終点、高田馬場の様子です。今では駅前ロータリーやビックボックスが出来きて大きく様変わりしてしまいました。










68_016A_21.jpg今では荒川線の終点となっている早稲田の電停です。右側のプラットホーム繋がる市場がありました。これらもすっかり無くなって線路の両側は新目白通りとなっています。









68_016A_12.jpg早稲田車庫に掲示された路線廃止の掲示です。良く見ると英語の表示があります。進駐軍時代の名残でしょうか。都電15系統の早稲田ー高田馬場間は第二次世界大戦終了後しばらくたっての開業でした。
この他に都電15系統については「都電の別れ道」とその後の「リポート」をご覧下さい。








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都電の別れ道 思い出から-2 [都電]

1968_都電.jpg私にとって幼い頃から身近にあった都電(広くは路面電車)は懐かしく郷愁の対象です。そして、一番好きだと公言してはばからない蒸気機関車は出会った時から憧れの対象と言えるかも知れなません。写真の場所は現在の荒川線が明治通りに向かって西向きから北の方角に大きく曲がるあたりです。正面奥が早稲田方向の線路ですが現在の線路は「材木ベニア」と書かれた建物あたりまで左に移動しています。左から来る電車は荒川車庫方面からの電車で32系統と呼ばれ、荒川車庫ー早稲田間の運転、三輪橋まで行く電車は赤羽行きで27系統となっていました。後に王子ー赤羽間を廃止し、早稲田ー三輪橋間をひとつの路線にし荒川線になったのでした。
この場所は小学生の頃遊んだ場所でもあります。写真で手前に延びている線路は高田馬場に通じ、高田馬場ー茅場町間の15系統です。この専用軌道のところで遊んでいると近づいて来た電車が通り過ぎたと思うと、ちょうど車掌が目の前の位置で止まり線路で遊ぶなとこっぴどく怒られたものでした。私はしなかったのですが電車に釘を踏ませて手裏剣を作ることがはやり、小学校の朝礼でこのようなことはしないようにとの話がありました。この頃は校庭に全校生徒が集まって朝礼がありました。今もあるのでしょうか。
それにしても、高い建物が無い情景はまるでどこかの地方私鉄のようです。本当に変わったと感じるしだいです。

写真:1968頃撮影

追記:この項も以前別のところで取り上げたことがありますが、十分に気持ちを伝えることが出来なかったので内容を追加して取り上げています。

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