SSブログ

休息するC12たち [思い出]

前回に引続き桐生機関区での夜景です。この後足尾線の一番列車で神土(ごうど)へ向かいます。今は読み方が同じで神戸と書くようですが。忘れてました、今回の写真はいずれも1970年1月の撮影です。

B70-002_06.jpg今回の写真は明け方からの仕業に備えて休息中の足尾線用C12たちです。33パーミルの急勾配と当時国鉄最急と言われる曲線がありローカル線としては沢山の機関車が運用されていました。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

佐倉機関区 [思い出]

今回は引き続き佐倉機関区にまつわる話をします。当時、ここには8620・C57・C58の3形式の蒸気機関車が配置されていました。そして小振りでしたが木造の扇形庫があり、今あらためて当時撮影した写真を見るとなかなか趣があります。当時プリントした時は技術の稚拙さもありその良さを生かせていなかった事を感じます。その扇形庫で撮影した8620・C57・C58形の写真を紹介します。高校一年のとき生意気に二眼レフを使っていたのですね。今見ると逆光に弱いレンズですが、おかげで諧調もピントもなかなか良い感じです。

B69-15_10.jpg一枚目は8620形の58653です。前回38671を出しましたがこれで5両の内2両が登場しました。ネガを発掘中ですが、果たして全機そろうでしょうか。

撮影:1969.9












B69-15_05.jpg二枚目はC57形です。何両いたか覚えていませんが、C5759とC5771の正面のナンバープレートが形式入りだったこと、その他にC5777やC57114がありました。

撮影:1969.9












B69-01_03.jpg三枚目になるのはC58形です。このC58165は何回も出会っているようで、複数のネガに残っていました。その他には新小岩機関区のD51も出入りしていました。

撮影:1969.7


こうして見ると機関車だけでなくその周りの情景や音や振動に匂いなど残したくても残せないものがあるのを感じます。ファインダーを覗くだけでなく五感で感じておきたいと思いました。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ハチロクとの出会い [思い出]

しばらく更新が止まってしまったのは、どんな内容にしようかと考えているうちに時間が経ってしまったためです。どうも昔の話が多くなってしまったのもいけないかなという思いもありましたが、やはり暫くは思い出話で行く事にします。今回は12月28日の「昔好きだった蒸気機関車」でふれた8620形です。

B69-18_06.jpg初めて機関区を訪れたのが佐倉機関区で1968年の夏ことでした。それが8620形との出会いでしたが、雑誌で事前にいる事は知っていましたが現物を見て大いに気にいってしまったと言う次第です。その当時、28646・38671・58680・58683・58684の5両が配置されていました。そして、佐倉から総武本線・東金線経由で房総東線の茂原まで往復した後、夕方総武本線で銚子まで行き一泊した後夕刻から夜にかけて成田線経由で佐倉に戻るのがハチロクの仕事でした。実際すでにC58が貨物用でいたのに古いハチロクを使っていたのは入換えの線路に8620形でなければ入線できない場所があったためと聞きました。当時は、外房線も房総東線を名乗り、新宿ー両国間を房総半島を一周する急行も走っていました。
撮影:1969.9 佐倉機関区


1968010_18.jpg夏の夕方、ひぐらしの泣き声の中ポーと三階音の少し甲高い悲しげ汽笛を鳴らし歯切れの良いブラストを響かせ走り去っていきました。
撮影:1968.8 総武本線 南酒々井ー榎戸

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

電車のこと [思い出]

nagano4_1a.jpgたまには電車のことも取りあげましょう。私にはやはり電車は吊りかけ式が一番好みです。今では奇跡的に残っている程度しかありませんが、あの独特の歯車の音は心に残っています。
写真は少しかびていますが、35年程前長野電鉄の電車です。

1080 好きだった蒸気機関車 [思い出]

1973年に撮影したネガを4本をこの二日間でスキャニングしました。その中に昨年の12月28日付「昔好きだった蒸気機関車」でふれた1080がありましたので紹介します。もう一度言いますが、今でも好きな機関車であることは変わりありません。

1080_197301.jpg1080と言う番号が振られていますが、形式は1070形です。現在は京都の梅小路蒸気機関車館にあります。生れは1900年(明治33年)で東海道線で急行用の機関車として製造されました。英国のダブス社製ですが、設計はネルソン社で、ネルソンで製造された分は6200形・ダブス製は6270形と区別されています。当時はテンダー機関車でしたが、タンク機関車に改造されローカル線用に転用されています。その時に形式も1070形となったのです。
さて、当時は栃木県葛生にある日鉄鉱業葛生鉱業所・羽鶴専用線にディーゼル機関車の予備機となっていました。とは言ってもディーゼル機関車は2両あり(他に小型が2両あったと思う)予備の予備と言う感じでしたが、年に2回程度貨物を牽いて運転されていたのです。

追記:初めてこの機関車に出会った時のことを書きわすれていました。確かこの写真を撮った時より二年前のことだったと思います。どんより曇った天気の日でした。スタイルもさることながら、ラムスボトム式安全弁・内側式スティブンスン式弁装置・ラジアル式従台車・焚口戸・小振りなグレシャム式注水器などどれをとっても新鮮でした。そして走る姿は、歯切れの良いブラスト・大きめの動輪に細身のロッド・弁装置が内側にあるので動輪の回転とロッドの動きが美しく見えます。汽笛はオリジナルと変わっているとは言えポーときれいに響きます。正に惚れ込んでしまいました。もし、蒸気機関車に貴婦人と言う言葉を当てはめるならこの機関車こそふさわしいでしょう。

初めての蒸気機関車撮影 思い出から-4 [思い出]

なぜ私が蒸気機関車好きになったのか、きっかけとなった思い出の話です。今回でとり合えず、私が鉄道に興味を持ち始め本格的に写真を撮り始めた頃の思い出話はお終いにします。

蒸気機関車を体験した思い出で一番古いものは、小学校に入る前ハイキングで五日市線に乗った時のことだと思います。とにかくシンダがひどく目が痛かったことを覚えています。機関車はC11形だった気がします。次に覚えているのは山手貨物線。通っていた小学校が駅の近くにあって朝礼の時間あたりに汽笛とブラストが聞こえていました。しかし、山手貨物線を走る蒸気機関車を見たことは残念ながら一度もありません。そして、小学校5年の臨海学校は両国から岩井まで往復とも房総西線(当時の呼び名)を蒸気機関車の列車に牽かれての旅でした。機関車はC57形です。同じ年の夏登山のため会津線の会津若松から会津田島まで乗ったのがC12形に客車2両+無蓋車(トまたはトム)の混合列車でした。この時は父が途中の駅で撮った写真がどこかにあるはずです。さらに翌年、小学校6年の秋卒業旅行ということで館山に行った時、途中鋸山登山の後浜金谷から館山までがC57形の牽引する列車でした。この時は帰りも蒸気機関車牽引だったと思います。

1967_板橋D51.jpgこうした後中学に入学し、本格的に鉄道に興味を持ち始めることになります。そんな時、赤羽の友人の家に行く途中で板橋の駅にD51が止まっるのを見付けました。その頃はもう東京の近郊には蒸気機関車はいないと思っていましたので驚きました。そして、当時発売されたばかりの鉄道ジャーナルで大宮から板橋までセメント列車をD51形が牽引していることを知りました。鉄道写真を始めた私は蒸気機関車を見たく朝の板橋駅へ出かけました。プラットホームからでしたが間近に蒸気機関車を見て音を聴き写真を撮り、すっかり蒸気機関車の魅力に取り憑かれてしまいました。この世の中にこんなにおもしろいものはない、これからは蒸気機関車だと・・・・・私の憧れになったのです。

写真:1967冬撮影

茶塗りのEF58 思い出から_3 [思い出]

私が始めて電車に乗って写真を撮りに行ったのは中学2年の冬のことでした。とは言ってもごく近くの赤羽までの遠征でした。

1967_EF58*2.jpgここに行った理由は中学校で知り合った友人の家が赤羽にあったので、その友人と一緒に赤羽駅の南側に行くことにしたのです。とは言ってもカメラを持っていたのは私だけで友人は見物。京浜東北線・東北本線・貨物線と3つの複線がありましたが、何時どんな列車が来るのかも全く知らずに来た列車を写すという行き当たりばったりの撮影です。さすがに本線の列車は早くなかなか上手くカメラに収まりませんでした。
さて、この写真は私が撮影した初めてのEF58でしかも唯一の茶色塗りでした。しかも重連という幸運に恵まれたのにやはり腕がついていかず、中途半端な写真になってしまいましたが思い出の一枚です。

写真:1967冬撮影

貨物列車 思い出から-1 [思い出]

正月中の数日は昔話、鉄道に興味を持ち始め本格的に写真を撮り始めた頃の思い出話をします。まずは貨物列車です。

1968_山手貨物1.jpgブーーン・ダッタタタタタタッタン・ダタッ・タタン・タタン・タタ・タタ・タタ・ダッタタン・ダタ・・・・機関車の音に続いて次々に変化していくレールを刻む車輪の音。貨物列車の通過だ。1968年当時当たり前の光景。貨車の主体は二軸車で、形も大きさも構造も違う様々な貨車が連なっていた。屋根無・木造・ボギー車は少なく稀に三軸車も。私鉄保有の貨車も混じっていた。今は同じ形のボギー車が連なっているばかりだ。
今はこんな貨物列車がとても懐かしい、と言うより見てみたい、否もう一度体験したいと思っている。

1968_山手貨物2.jpgでも、旧型列車の夜行列車に乗りたいと思うのと同じく不可能なことだろう。座席までが振動する3D映画を使うなどするとか、運転シミュレーターの様なものを使えば可能だと言うかも知れない。しかし、どんなに精巧に創ろうと疑似体験であり、本物ではないということだ。どんな体験も100%他人に伝えることは不可能な自分だけの物だと思う。だから、鉄道が蒸気機関車が好きならば写真を撮ることにキュウキュウとしてカメラのファインダーにしがみつくより五感を研ぎ澄まして全身で感じるておく方が良いような思いもしている。

1968_山手貨物3.jpg思い出の貨物列車の話が脱線してしまった。


写真は1968年(昭和43年)当時の山手貨物線高田馬場ー新大久保にて。








1968_山手貨物4.jpg追記:この項は以前別のところで取り上げたことがありますが、十分に気持ちを伝えることが出来なかったので内容を追加して取り上げました。あしからず。




この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。