紫陽花の季節 [花・木・緑]
年頭のあいさつ以降、ブログの更新をせずにいました。これには、個人的に迷いや考えることもあり、なかなか手をつけずにいました。我が家の紫陽花が花をつけたのを気に半年ぶりに更新することにします。それにしても、毎年目にも鮮やかに咲いてくれます。この先、足踏みしていた多くのことが進行していけたらと思っています。
*13日に写真を追加しました。
*過去の紫陽花へのリンクです。
http://sellbremse.blog.so-net.ne.jp/2013-06-14
http://sellbremse.blog.so-net.ne.jp/2012-06-17
新年おめでとうございます [雑記]
鉄展3が終了しました [写真]
今年も残すことあと1日となりました。先日参加したグループ展に出展した写真をアップします。
昨年6月に参加した『鉄展』に引き続き2回目の参加となった『鉄展3』に出した写真です。前回は思い出の蒸気機関車でしたが、今回は現代に生きる蒸気機関車です。
写真をクリックし、拡大してご覧ください。
何人かの方に使用したカメラは何かと聞かれました。最初の2点は、FUJI XQ-1。炎の写真は、SIGMA DP-2sです。コンパクトカメラですが、RAWで撮影し現像もしっかりすれば A3ノビにしてもしっかり描写してくれます。
昨年の「鉄展」はここをクリックしてください。
来年も良い年でありますように!
昨年6月に参加した『鉄展』に引き続き2回目の参加となった『鉄展3』に出した写真です。前回は思い出の蒸気機関車でしたが、今回は現代に生きる蒸気機関車です。
写真をクリックし、拡大してご覧ください。
何人かの方に使用したカメラは何かと聞かれました。最初の2点は、FUJI XQ-1。炎の写真は、SIGMA DP-2sです。コンパクトカメラですが、RAWで撮影し現像もしっかりすれば A3ノビにしてもしっかり描写してくれます。
昨年の「鉄展」はここをクリックしてください。
来年も良い年でありますように!
久しぶりに荒川線の写真を撮りました [都電]
昨日は赤羽で蒸気機関車を語り合う忘年会がありました。その前に用事で高田馬場方面へ行きましたので、用事が片付いたあと荒川線の早稲田電停に向かいました。
この電停、いや今は駅といった感じですが、あまり好きではありません。自動車や雨風から守る点では良いのでしょう。しかし、要塞のような姿はいただけない感じがします。
ちょうど、7000形が居たので釣り掛けの音を楽しむべく乗車しました。でも、慌て乗らなくても7000形はかなり走っていました。途中の鬼子母神前から東池袋四丁目にかけて大きな道路の中央を走る形にする工事を行っていました。この辺りも殺風景になってしまうのでしょう。そんな場所が飛鳥山に向う途中他にもにもありました。
本郷通りの併用軌道から飛鳥山電停に向う電車です。右手に見える明治通りが広くなった気がします。
専用軌道から本郷通りに出る電車です。うっかりしていたのですが、もうかなり薄暗くなっていてこの手の写真を撮るには向いていない状況になっていました。でも、待ち合わせ時間まで間がありましたので写真が荒れるのを覚悟で感度をASA800にして撮影を続行しました。それにしても、軌道があることをわかりやすくするためと思われる、白い塗装が汚らしく感じます。
王子駅前から飛鳥山に向う急勾配を上る電車です。釣り掛けの7000形はかなり苦しそうに走っていました。
王子駅前の電停から併用軌道にでる電車です。専用軌道でなく、なるべく道路上を走るシーンを狙いましたが、かなり無理矢理といった感じです。
今度は歩道橋の上からから併用軌道に出る電車を狙いました。絞りも開放です。一眼に明るいレンズが欲しいところでした。画面では結構綺麗に見えますが、かなり荒れています。コンパクトカメラのFUJI XQ1を使用しました。
それにしても、荒川線は何度乗っても都電の気分がしません。ミニチュア版の郊外電車の気分です。一系統ぐらい都電らしさを味わえる路線が残っていて欲しかったです。
この電停、いや今は駅といった感じですが、あまり好きではありません。自動車や雨風から守る点では良いのでしょう。しかし、要塞のような姿はいただけない感じがします。
ちょうど、7000形が居たので釣り掛けの音を楽しむべく乗車しました。でも、慌て乗らなくても7000形はかなり走っていました。途中の鬼子母神前から東池袋四丁目にかけて大きな道路の中央を走る形にする工事を行っていました。この辺りも殺風景になってしまうのでしょう。そんな場所が飛鳥山に向う途中他にもにもありました。
本郷通りの併用軌道から飛鳥山電停に向う電車です。右手に見える明治通りが広くなった気がします。
専用軌道から本郷通りに出る電車です。うっかりしていたのですが、もうかなり薄暗くなっていてこの手の写真を撮るには向いていない状況になっていました。でも、待ち合わせ時間まで間がありましたので写真が荒れるのを覚悟で感度をASA800にして撮影を続行しました。それにしても、軌道があることをわかりやすくするためと思われる、白い塗装が汚らしく感じます。
王子駅前から飛鳥山に向う急勾配を上る電車です。釣り掛けの7000形はかなり苦しそうに走っていました。
王子駅前の電停から併用軌道にでる電車です。専用軌道でなく、なるべく道路上を走るシーンを狙いましたが、かなり無理矢理といった感じです。
今度は歩道橋の上からから併用軌道に出る電車を狙いました。絞りも開放です。一眼に明るいレンズが欲しいところでした。画面では結構綺麗に見えますが、かなり荒れています。コンパクトカメラのFUJI XQ1を使用しました。
それにしても、荒川線は何度乗っても都電の気分がしません。ミニチュア版の郊外電車の気分です。一系統ぐらい都電らしさを味わえる路線が残っていて欲しかったです。
都電の情景 1971 [都電]
私にとって長く最も身近な鉄道は都電でした。しかし、私にとってのニューヒーローであった蒸気機関車の方に夢中になり、高校3年になったこの頃になってようやく残った都電を盛んに撮影するようになりました。その都電の廃止が最終に近づいた1971(昭和46)年6月から11月の間に二眼レフで撮影した写真をご覧いただきます。
初電が車庫を出るところを撮ろうと、国電の始発で荒川車庫に駆けつけました。残念ながら初電には間に合いませんでしたが、早朝に車庫を出て行く情景を捉えることが出来ました。
車庫内の情景。トラバーサーのコントローラーは電車に使っているものを流用しているようです。都電の車庫にはほとんどトラバーサーがありました。手作りなのか、それぞれ形が異なっていました。錦糸掘車庫で。
「安くて安全、便利な都電」。このプレートはよく見かけました。利用者の多くはどのように感じていたのしょうか。
歩道橋から見た軌道。路線が交差する場所で撮りたかったのですが、撮影できたのは系統が分かれる場所でした。手前を左方向に行くのは27系統赤羽行きで、手前右方向は32系統早稲田行きになります。27系統の王子〜赤羽間の併用軌道を廃止して、27と32系統を1本にして現在の荒川線になりました。
絵に描いたような大通りを走る都電の情景。こうした大通りには安全地帯が設けてありました。万世橋にて。
下町の商店街がある通りの情景。オート三輪も今は過去のものとなりました。場所はわからなくなってしまいました。
Cedar様より次のようなコメントを頂きました。「23番の下町商店街は、門仲の北の清澄通り沿いに今も残ってる建物ではないでしょうか?バックの緑は清澄庭園と思います。」建物が今も残っているとはすごいことですね。ありがとうございます。
子供がお店の中を覗く、その後ろを都電が走ります。こうしたお店も時代を感じます。23・28・29系統のいずれか。
車掌が切符を切る情景です。前ピンなので当時は失敗と思っていました。しかし、今見ると懐かしい車内の情景なのでお披露目することにします。
23・28・29系統のいずれかで撮影。
折り返し時間の一時。32系統の早稲田で。バックの左手は市場になっていて賑わっていましたが、この時期は再開発のためほとんどが閉店してしまっていました。ブレーキハンドルを持っている左の人が運転手です。
早稲田の停留所には市場が繋がっていました。今は新目白通りの真ん中にぽつんと早稲田の停留所があります。市場が全盛の時に撮っておきたかった光景です。
面影橋の停留所を去る荒川車庫行き電車。当時は早稲田行きが専用軌道上にプラットホームがありましたが、荒川車庫行きは併用軌道上に停留所がありました。
正方形の中に現れた都電の世界いかがでしょうか。他にももっともっとお披露目したい写真もありますが機会を改めて。
当時の都電を扱った他の記事リンクです。
都電の別れ道
都電15系統の最終日
都電15系統の思い出」写真展のお知らせを見て
雨の万世橋
初電が車庫を出るところを撮ろうと、国電の始発で荒川車庫に駆けつけました。残念ながら初電には間に合いませんでしたが、早朝に車庫を出て行く情景を捉えることが出来ました。
車庫内の情景。トラバーサーのコントローラーは電車に使っているものを流用しているようです。都電の車庫にはほとんどトラバーサーがありました。手作りなのか、それぞれ形が異なっていました。錦糸掘車庫で。
「安くて安全、便利な都電」。このプレートはよく見かけました。利用者の多くはどのように感じていたのしょうか。
歩道橋から見た軌道。路線が交差する場所で撮りたかったのですが、撮影できたのは系統が分かれる場所でした。手前を左方向に行くのは27系統赤羽行きで、手前右方向は32系統早稲田行きになります。27系統の王子〜赤羽間の併用軌道を廃止して、27と32系統を1本にして現在の荒川線になりました。
絵に描いたような大通りを走る都電の情景。こうした大通りには安全地帯が設けてありました。万世橋にて。
下町の商店街がある通りの情景。オート三輪も今は過去のものとなりました。場所はわからなくなってしまいました。
Cedar様より次のようなコメントを頂きました。「23番の下町商店街は、門仲の北の清澄通り沿いに今も残ってる建物ではないでしょうか?バックの緑は清澄庭園と思います。」建物が今も残っているとはすごいことですね。ありがとうございます。
子供がお店の中を覗く、その後ろを都電が走ります。こうしたお店も時代を感じます。23・28・29系統のいずれか。
車掌が切符を切る情景です。前ピンなので当時は失敗と思っていました。しかし、今見ると懐かしい車内の情景なのでお披露目することにします。
23・28・29系統のいずれかで撮影。
折り返し時間の一時。32系統の早稲田で。バックの左手は市場になっていて賑わっていましたが、この時期は再開発のためほとんどが閉店してしまっていました。ブレーキハンドルを持っている左の人が運転手です。
早稲田の停留所には市場が繋がっていました。今は新目白通りの真ん中にぽつんと早稲田の停留所があります。市場が全盛の時に撮っておきたかった光景です。
面影橋の停留所を去る荒川車庫行き電車。当時は早稲田行きが専用軌道上にプラットホームがありましたが、荒川車庫行きは併用軌道上に停留所がありました。
正方形の中に現れた都電の世界いかがでしょうか。他にももっともっとお披露目したい写真もありますが機会を改めて。
当時の都電を扱った他の記事リンクです。
都電の別れ道
都電15系統の最終日
都電15系統の思い出」写真展のお知らせを見て
雨の万世橋
錦沢のスイッチバック [現役時代の蒸気機関車]
FaceBookのコメントに夕張鉄道の錦沢にあるスイッチバックで21形を撮影したことを書き込みました。そこで、早速ブログにアップします。
撮影したのは、間もなく全廃となる蒸気機関車を追いかけて北海道に渡った1974年9月です。夕張鉄道はかなり以前から本線の貨物列車はディーゼル機関車(DD1000形)牽引になっていましたが、平和駅を発車する時に21形の後補機が付き後退してから豪快に発車していく様子を撮りに行きました。なんとその時2輌いたディーゼル機関車が検査と故障のため本線の貨物列車を21形が牽引する幸運に巡り合えることができました。そこで、憧れの錦沢へ行くことにしました。
まずはお決まりの場所で撮影です。ここまで歩いて行ったことは間違いないのですが、細かいことはよく覚えていません。
同じ場所から望遠レンズでアップで撮影。200mmレンズに2倍のテレコンバーターを使用して撮影しました。レンズの開放F値が8になってしまうので、少しでも絞りたく増感現像しました。
スイッチバックの中で後退する列車を撮影しました。もう一ヶ所のスイッチバックは撮影に向かなかったのか撮影していません。素晴らしい出来事だったのに、他に撮影する人には出会いませんでした。
めったに無い機会なので、山を降りた田園地帯でも撮影しました。新二股駅の近くだったと思います。この時の移動はバスを利用しました。
!写真が暗めに表示されるようですが、拡大表示にすると正しい明るさで表示されます。?
撮影したのは、間もなく全廃となる蒸気機関車を追いかけて北海道に渡った1974年9月です。夕張鉄道はかなり以前から本線の貨物列車はディーゼル機関車(DD1000形)牽引になっていましたが、平和駅を発車する時に21形の後補機が付き後退してから豪快に発車していく様子を撮りに行きました。なんとその時2輌いたディーゼル機関車が検査と故障のため本線の貨物列車を21形が牽引する幸運に巡り合えることができました。そこで、憧れの錦沢へ行くことにしました。
まずはお決まりの場所で撮影です。ここまで歩いて行ったことは間違いないのですが、細かいことはよく覚えていません。
同じ場所から望遠レンズでアップで撮影。200mmレンズに2倍のテレコンバーターを使用して撮影しました。レンズの開放F値が8になってしまうので、少しでも絞りたく増感現像しました。
スイッチバックの中で後退する列車を撮影しました。もう一ヶ所のスイッチバックは撮影に向かなかったのか撮影していません。素晴らしい出来事だったのに、他に撮影する人には出会いませんでした。
めったに無い機会なので、山を降りた田園地帯でも撮影しました。新二股駅の近くだったと思います。この時の移動はバスを利用しました。
!写真が暗めに表示されるようですが、拡大表示にすると正しい明るさで表示されます。?
2109号機運転終了後の情景 [2109 蒸気機関車]
ビネガーシンドロームのネガをスキャニングする [写真]
雨で今日の仕事がキャンセルになってしまった。そこで日頃出来ない事をしようと整理やかたずけをを始めたが中々はかどりません。そんな中、ネガのスキャニングにも手をつけました。厄介なのはビネガーシンドロームに侵されたネガのスキャニングです。その方法とは、丸まってしまったネガを引き伸ばしで使用するガラスのネガキャリアに強引に挟み何日か置きます。そして、丸まるクセがとれたところでスキャニングする方法です。ネガキャリアに挟むとき傷がついたりする事がありますが、永遠に失われるよりましと思っています。
左は丸まってしまったネガ。右はガラスのネガキャリアに挟んだ様子、この状態でかなり頑固なものでも一ヶ月も置けばなんとかスキャニングできる程度に平らになります。
このようにしてスキャニングした写真です。1973年12月26日に根室本線の厚床で撮影しました。
左は丸まってしまったネガ。右はガラスのネガキャリアに挟んだ様子、この状態でかなり頑固なものでも一ヶ月も置けばなんとかスキャニングできる程度に平らになります。
このようにしてスキャニングした写真です。1973年12月26日に根室本線の厚床で撮影しました。
2ヶ月ぶりの2109公開運転が行われました [2109 蒸気機関車]
真岡鐵道へ撮り鉄と呑み鉄 呑み鉄編 [真岡鐵道]
ビアトレインに乗車する前に、夜行運転に備えての点検作業を機関区脇の見学通路で給油作業を撮影しました。
ここからは、呑み鉄の合間に撮った写真を紹介します。
ビアトレインの参加証です。乗車券も兼ねています。
この後は、ビアトレイン(SL夜行)に乗車しましたが、ビールを呑むのに忙しく車内で写真は撮っていません。
茂木にビアトレインが到着したところで再び撮影。酔っ払いが撮影していますので、ブレボケ続発です。SL夜行といっても下りの時間帯はまだ日は暮れていません。
キャブの窓に夕日が
何時もは静かな茂木のメインストリートも今日は大にぎわいです。
普段は人通りも少ないのですが、多くの人が行きかっています。
ないげない光景も夜は昼間より絵になります。
今夜の目玉は打ち上げ花火。メインストリートが花火の見学会場になっています。三脚を持ってきていないので、花火は証拠写真だけです。これもブレてしまいました。
上りの ビアトレイン(SL夜行)に乗車が始まりました。この時間には日もとっぷりと暮れました。
焚口を開けた時の赤い光も魅力的です。
発車前のホームでの光景です。月もでました。
キャブ内の様子。これもぶれてしまいました。
真岡駅でホームから客車を推進運転で引き上げる様子を改札口から撮影しました。まるで、蒸気機関車の現役時代を思い出すような光景です。
この後、下館行きに乗り帰路につきました。